9月13日 Vol.2254 Japanese Agriculture Paradox

メルマガ前号に「Japanese Agriculture Paradox」という記載を致しました。
一部の方から、そこをもう少し説明をというご要望がありましたので、追伸で記載いたします。

Paradox(パラドックス)という単語の意味は、Wikipediaを引用すると、以下の通りです。
「パラドックス(paradox)とは、正しそうな前提と、妥当に思える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉である。逆説、背理、逆理とも言われる。」

日本の農業は、多くの統計が、衰退を示しています。
農業就労人口や耕作面積などは、毎年減少しており、またこの先もまだまだ減少が見込まれています。
多くは経営の悪化と、それに伴う後継者不足です。
大規模農業法人が増えているとは言うものの、減少分をカバーするにははるかに及びません。
農業産出額(金額ベース)は、この数年横ばいと言われますが、それは販売単価が上がっているからであって、生産量はほぼ毎年減少しています。
産業構造としては、衰退傾向を示しています。

農業という産業全体が衰退すればするほど、販売単価は上がっていきます。
需要供給のバランスで言えば、供給不足需要過多になります。
つまりモノが足りないということです。
それは、消費者の利益を阻害することになりますが、反面それは残った農業者には利益をもたらします。

いま多くの農業経営は厳しい状況に追い込まれていますが。
しかし一部、効率化や大規模化が図れた農業者は、どんどん利益率が高まっています。
産業としての国内農業が衰退すればするほど、一部の農家には大きな利益をもたらし、一方で消費者の利益を阻害します。

もしこのような状態を、市場原理や競争原理というだけで、能力や努力が足りない農家は退場止むなしと個人的問題に矮小化するならば、それは今後の食料インフレを許容する、つまり食料価格がどんどん高騰しても良いという意味と同じです。

農業という産業が衰退し、農作物価格が高騰し、消費者は困り、しかしそれが残った農業者には利益をもたらします。
大いなる皮肉であり、矛盾点であり、また現実だと思います。
そこで、僕はそのような状況を、「Japanese Agriculture Paradox」と名付けました。
このフレーズは、いままで聞いたことがないので、今後社会に広がったらおそらく最初は僕だと思います。

そして僕は、それで良いと言っているのではありません。
これまで国内農業は、大量生産低価格の時代でした。
あまりにも、販売単価が安すぎました。
しかしいま、極端から極端に、少量生産高価格時代に急速に転換しようとしています。
僕が理想とするのは、上記のいずれでもない、大量生産中価格時代です。
わかりやすく言えば、これから目指すべきは、生産量の拡大です。